湛然 ★


3/6(水) 1702 CHANTO WEB
https//news.yahoo.co.jp/articles/75903a8fcda2201711daa9448e187683b0ad3d52?page=1
CHANTO WEB

(出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)




■「採卵した卵は3つだけ…」顕微授精を始めたけれど

── 40歳の時に、12歳年下のプロ自転車ロードレーサー山本雅道さんと結婚し、42歳で不妊治療をスタートされました。

益子さん:スポーツをやっていたので、体力には自信があり、40代でもふつうに生活していれば子どもは授かるだろうと思っていたんです。いま思えば無知でした。

なかなか妊娠できず、不妊治療を始めようと病院で検査をしたところ、子宮にポリープが見つかったのが42歳。ポリープを切除し、治療を開始しました。

体外受精のひとつである顕微授精を始めたものの、排卵誘発剤を打っても、卵が最高で3つしか採れなくて。結局、3つのうちの2つはカラで、残りの1つも着床できず、それを2回くらい繰り返したけれど、ダメでした。

── 不妊治療では夫婦間で温度差が生じて、溝ができてしまうケースも少なくありません。妊活中に気持ちがすれ違うことはありませんでしたか?

益子さん:それがまったくなかったんです。不妊治療中、ありがたかったのは、夫がとにかく私の心と体を気づかってくれ、温かい言葉をかけ続けてくれたことでした。

「つらかったらいつでもやめていいからね」と言って、時間が許すときは必ず病院に付き添ってくれました。不妊治療で夫への信頼はゆるぎないものになりましたね。

ただ、なかなか妊娠できずに気持ちが追い詰められ、苦しい時期が続きました。不妊治療をしていることは、互いの親にも友人にも話していませんでした。

当時はまだ、不妊治療について公言しづらい雰囲気がありましたし、当事者としての苦しみは誰にもわからないだろうから、それなら人に言わないほうがいいと思ったんです。

相談できる人もいなかったので、Twitterで違う別名のアカウントを作って、不妊治療をしている人たちとつながってみたりと、殻に閉じこもりがちでしたね。

── 3年間の不妊治療を経て、45歳で卒業されました。不妊治療では、「やめどき」に悩む女性が多いです。すんなりと踏んぎりをつけることができたのでしょうか?

益子さん:もともと45歳の誕生日で不妊治療を卒業しようと、夫婦でタイムリミットを決めていたんです。体温計やグラフ、ホルモン療法の薬などをすべて処分し、「この先の人生は、2人で楽しく生きていこうね」と、不妊治療を卒業しました。

とはいえ、「まだ生理があるうちは…」と、なかなか諦めきれない自分もいて。「夫に隠れてこっそり病院に行っちゃおうかな」と思ったり。気持ちを切り替えられたのは、いま住んでいる湘南の家と運命的な出会いをしたのがきっかけでした。

■引っ越しで「悶々とした気持ちをリセットできた」

── どういう出会いだったのでしょう?

益子さん:湘南で不動産業を営んでいる友人夫婦のところに遊びに来たとき、「せっかくだから物件でも見ていく?」と軽い感じで誘われて。そこで見学した家にひと目ぼれし、「ああ、ここに住みたい!」と直感的に思ったんです。

── そうなのですね。どのあたりが気に入ったのですか?

益子さん:築年数が約20年の古い家でしたが、お庭が広くて、桜や柿、みかんに梅、プラムなど、いろんな木や植物が生えていて、「ここで過ごす時間は素敵だろうな」と心が癒されました。

それに、このまま東京にいたら、また病院に行きたくなって、悶々としてしまいそうだったんです。これまでの暮らしをリセットし、新たなスタートをきりたいという思いもありました。

夫に「この家、買ってもいいかな?」と了解をとり、ほぼ即決で購入。その後すぐ、湘南に引っ越しました。いまでは、地元にお友だちもたくさんできました。庭いじりを楽しんだり、家のDIYをしたり、夫婦で自転車に乗ったりと、湘南の暮らしを満喫しています。

いろいろなことがありましたが、結局、自分にとって本当に大切なものだけが残ったという気がしています。あの時、思いきって環境を変える決断をしてよかったなと思っています。

(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

益子直美「45歳で不妊治療に終止符」都内から湘南への転居、心臓の病気を経て3/6(水) 1702 CHANTO WEBCHANTO WEB■「採卵した卵は3つだけ…」顕微授精を始めたけれど── 40歳の時に、12歳年下のプロ自転車ロードレーサー山本雅道さんと結婚し、42歳で不妊治療をスタートされました。益子さん:スポーツをやっていたので、体力には自信があり、40代でもふつうに生活していれば子どもは授かるだろうと思っていたんです。いま思えば無知でした。なかなか妊娠できず、不妊治療を始めようと病院で検査をしたところ、子宮にポリープが見つかったのが42歳。ポリープを切除し、治療を開始しました。体外受精のひとつである顕微授精を始めたものの、排卵誘発剤を打っても、卵が最高で3つしか採れなくて。結局、3つのうちの2つはカラで、残りの1つも着床できず、それを2回くらい繰り返したけれど、ダメでした。── 不妊治療では夫婦間で温度差が生じて、溝ができてしまうケースも少なくありません。妊活中に気持ちがすれ違うことはありませんでしたか?益子さん:それがまったくなかったんです。不妊治療中、ありがたかったのは、夫がとにかく私の心と体を気づかってくれ、温かい言葉をかけ続けてくれたことでした。「つらかったらいつでもやめていいからね」と言って、時間が許すときは必ず病院に付き添ってくれました。不妊治療で夫への信頼はゆるぎないものになりましたね。ただ、なかなか妊娠できずに気持ちが追い詰められ、苦しい時期が続きました。不妊治療をしていることは、互いの親にも友人にも話していませんでした。当時はまだ、不妊治療について公言しづらい雰囲気がありましたし、当事者としての苦しみは誰にもわからないだろうから、それなら人に言わないほうがいいと思ったんです。相談できる人もいなかったので、Twitterで違う別名のアカウントを作って、不妊治療をしている人たちとつながってみたりと、殻に閉じこもりがちでしたね。── 3年間の不妊治療を経て、45歳で卒業されました。不妊治療では、「やめどき」に悩む女性が多いです。すんなりと踏んぎりをつけることができたのでしょうか?益子さん:もともと45歳の誕生日で不妊治療を卒業しようと、夫婦でタイムリミットを決めていたんです。体温計やグラフ、ホルモン療法の薬などをすべて処分し、「この先の人生は、2人で楽しく生きていこうね」と、不妊治療を卒業しました。とはいえ、「まだ生理があるうちは…」と、なかなか諦めきれない自分もいて。「夫に隠れてこっそり病院に行っちゃおうかな」と思ったり。気持ちを切り替えられたのは、いま住んでいる湘南の家と運命的な出会いをしたのがきっかけでした。■引っ越しで「悶々とした気持ちをリセットできた」── どういう出会いだったのでしょう?益子さん:湘南で不動産業を営んでいる友人夫婦のところに遊びに来たとき、「せっかくだから物件でも見ていく?」と軽い感じで誘われて。そこで見学した家にひと目ぼれし、「ああ、ここに住みたい!」と直感的に思ったんです。── そうなのですね。どのあたりが気に入ったのですか?益子さん:築年数が約20年の古い家でしたが、お庭が広くて、桜や柿、みかんに梅、プラムなど、いろんな木や植物が生えていて、「ここで過ごす時間は素敵だろうな」と心が癒されました。それに、このまま東京にいたら、また病院に行きたくなって、悶々としてしまいそうだったんです。これまでの暮らしをリセットし、新たなスタートをきりたいという思いもありました。夫に「この家、買ってもいいかな?」と了解をとり、ほぼ即決で購入。その後すぐ、湘南に引っ越しました。いまでは、地元にお友だちもたくさんできました。庭いじりを楽しんだり、家のDIYをしたり、夫婦で自転車に乗ったりと、湘南の暮らしを満喫しています。いろいろなことがありましたが、結局、自分にとって本当に大切なものだけが残ったという気がしています。あの時、思いきって環境を変える決断をしてよかったなと思っています。(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

(http//trendcatch2020.com/archives/24930255.html)